ネット論(仮題)

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ネット論(仮題) - 近現代史めも - 戦前・戦中めも - 戦後めも

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2009.4.25 作成
適当に更新中...[戦前・戦後]を追記したら重くなってしまいました。
2011.10.12 あまりに重いので(今更w)近現代史を近現代史めもへ分割
最終更新日は 2010.7.2

う〜ん、Wikipedia は内容が偏ってるページもあるので微妙なとこですが、Web上ではもっとも「中立性」があるかなぁと。(ページによりますけど...)

これって何?

人の行為の中から卑小しか酌み得ないのは、おのれの精神が卑小であるからである。確実な証拠もないのに、おのれの卑小な性質によって、卑小な解釈をして得々としている人が少なくないのが、ぼくにはやりきれない。歴史上の人物は自ら弁護する自由がない。証拠なくしてめったな解釈を下してはならないのである。

『武将列伝』by 海音寺潮五郎(文春文庫)

ネット上ではいわゆる「通説」や「正史」だけでなく、「珍説」「極論」や偏見無知からくる偏った情報、単なる思い込み、伝言ゲームなどで真実から遠ざかってしまったいわゆる「劣化コピー」など価値がわからないような色んな情報がありますよね。

そんな中で、普遍的な考え方を保ち、まともな「見識」を付けるためにはどうしたらいいのかなと。

さしたる)根拠なしで「私はこう思う」「私はこう信じる」という人は、前提となる事実・情報が偏っていたり、少ない場合があるように私は“感じ”ます。多くの情報を消化していくにつれ、こう“思いたい”けど「こう“考える”のが妥当かな」という風に“思う”ではなく“考える”に変わっていくのが自然な“考え方”の流れかなと私は“考え”てます。

“思う”や“信じる”は個人の自由なんで根拠なくてもいいのです。でも、意見にはなりません。

その根拠を確認するとマンガだったり、信憑性が非常に低い裏情報的なものを鵜呑みにしてたりするのはよくある話。「うまい話には罠がある」的にわかりやすい話には無知という弱味につけこむ「わかったつもりにさせる罠」があることを意識しておくべきかと。

※ あと、根拠とする事実は間違っていなくても、その結論がおかしいというか方向違い、ってなこともよくありますよね。

私自身の「先入観」や「無知」の無自覚による偏見など恥ずかしい過去の反省、及び今後の自戒の意味も込めて、「思考訓練」というか、考える前の「心構え」みたいなものを集めてみました。

哲学者ソクラテスの言葉。自分自身が無知であることを知っている人間は、自分自身が無知であることを知らない人間より賢い。真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まる。

無知の知とは - はてなキーワード

客 観(きゃっかん)

  1. 心の働きや考えをから独立して、外部に存在している対象。
  2. 自分だけの考えを離れて、第三者の立場で、物事を見たり、考えたりすること。
客観 - フリー多機能辞典『ウィクショナリー日本語版(Wiktionary)』

人間は常に物事の「答え」を求める本能を持つ生き物なのかもしれません。

でも、それを「探し続ける」努力はしんどいので、楽に「答え」を得ようとすると色んな「罠」にハマってしまいます。

他にも色々な「罠」がありますよね。だから「答なんてない」と諦めてしまう手もあります。めちゃしんどい作業になるけど、こんな風に覚悟して努力してみるのもいいかもしれないなぁと思ったりしてます。

なんつって...あと、自分自身について冷静になることも忘れないでおきたいと思います。

ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。

ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。

ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。

ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた。

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典

考える前に

議論の場で「思う」「信じる」「好き/嫌い」というような主観的な言葉は使っ てはいけません。代わりに「考える」や「である」を使って下さい。これらの 言葉を使ってみると、「なぜなら〜」と理由を述べないと格好がつかない事が わかるでしょう。それに対して「思う」「信じる」には理由がいりません。だ から客観的な議論には良くないのです。

感情論 - 議論のしかた
なぜの追求

「犯人探し」「責任追求」で終わらせずに、なぜ起こったか?、何が問題だったのか?、それらの失敗を教訓として今後どうしたらいいのか?

「なぜ追求」はとても大切なことだと思います。まぁ、「キリがない」なんて怒られたりしてますけど(汗)。

思考停止問題

自分の頭でものを考えるとは、
常に「揺らぎ」続けることでもある。
絶対というものを持たず、不安定なまま、
自分の内面、まわりの人間や状況に応じて、
その場、できる限りの
ベストな判断をしていこうとすることだ。

ところが、これは、なかなかしんどい作業だ。
だから、
揺らぎを止めて、ゆるぎないものに
どかん! と腰を下ろしたくなる。
それが「思考停止のポイント」だ。

ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

情報が多ければ多いほど、あるいは、「知れば知るほど」物事は難しくなることが多いわけで。聞きかじりで「わかったつもり」にならないように注意せねば、かな?

  • 「わからぬなら、わからぬままで、ホトトギス」
  • 「わからぬなら、わかってみせよう、ホトトギス」
  • 「わからぬなら、華麗にスルー、ホトトギス」
二元論

二元論は簡単でわかりやすい。でも世の中の出来事は簡単でわかりやすいものばかりではないのですね。単純化は悪魔の誘いなのかもしれません。なんちて。

 物事を善悪で語る二元論は、シンプルで分かりやすく、力強い。たいていは自分たちを「正しい」側に置いて他者を判断すれので、プライドも満たされる。そのために、人は容易に二元論的思考にはまり込み、違った価値観を認められなくなりがちだ。

Egawa Shoko Journal: その二元論的発想が心配だ

「そんなマンガみたいな話じゃないのだ」

右でもなく左でもなく、善でもなく悪でもなく、何事においても大事なのは「バランス」かなと。

たとえ話

たとえ話そのものはわかりやすいのですが、たとえ方がおかしいとか、全くたとえになってなかったりすることが多すぎ。難しい問題を素人が単純化しようとすることが間違いなのでは?

あぁその前に、「単純化」「2分化」しちゃっていいのかな?

「そんな単純な話ではないのである」

ないがしろ

代弁・弁護するなら、当事者の心情・覚悟について思いやることを忘れてはいけないと思います。弁護のつもりが苦しい言い訳になり当事者の名誉を傷つけてしまうこともある。

「ホンネは自己正当化ナリか」

可能性と蓋然性

地球人以外のいわゆる「宇宙人」の存在は確認されていないが存在する可能性はゼロではない。

そういった根拠で「犯人は宇宙人の可能性」とか言えるの?.....ありえなさすぎます。

「小人さんの仕業デス」

想像力の限界

「事実は小説より奇なり」とよく言いますが、自分の想像からはじめると間違った答えに行き着いてしまうことがあります。

「ホントのようなウソ」と「ウソのようなホント」ではどちらが信じられやすいかは説明不要かと。

「シンジラレナイ(シンジタクナイ)」

結論ありき

証拠を選り好みしないこと。論理的・合理的に考えること。

「結論ありき」で考えてしまうと、都合のいい証拠のみつまみ食いしたり、可能性だけで蓋然性を無視したりしまいがちかも。

「ワカラン」と言いつつ「間違いない!」

レッテル貼り

根拠なく他人を非難するのはいけないこと。それらは「誹謗中傷」「名誉毀損」にもつながってしまうかもしれません。

「論理がだめなら暴言で」ばーかばーか

ダメ出し

但し、根拠が適切(客観的)ならレッテル貼りという行為も有効になる場合もあります。例として、2chのおやくそくや「陰謀史観」「ニセ科学」「マルチ商法」など。「カテゴライズ」と言った方がいいのかな。

詐欺師の主張に耳を貸す必要はないのです。一理あったとしても目的が「人を騙すこと」なのですから。捨て置けィ!

安易な置換え

自分の都合に合わせて置き換えたり、レッテルを貼る、他を否定するやり方。

  • 個人主義 利己主義
    • 個人主義は「他人はどうなってもいい」という考えではない
  • 他の意見を聞く 他の顔色を伺う
    • 意味合いは同じでも後者は悪いことに取られてしまう
  • 愛国心 歴史の正当化(反省や批判の否定)
    • 愛国心の対象は文化や風土も含まれる、政治や歴史だけではない
    • 他国、または他国の文化を認めないこととイコールではない
    • 押し付けるものではない

また「安易」という言葉の使い方にも注意が必要

  • 「安易に〜するな」

この場合、だめなのは「安易」であることで「〜する」ことがだめというわけでない。また、「安易」と言う言葉を根拠なく安易に使ってはいけない。ややこしいですね(笑)

目的と手段

問題が発生した場合、その原因について追究、批判や評価が必要となります。それらは本来「問題解決の為の対策」という「目的」を達成するまでの過程に必要な「手段」であるべきですが、往々にして「責任追及」や「批判のための批判」で終わってしまう、つまり「手段が目的に」なっている例が見られます。

大事なことは「対策を立てる」こと、常に「目的」を忘れないように。

尚、目的が正しいからといって「何しても許される」というような手段の正当化は論外。

ケースバイケース

原則にとらわれず、一件ごとの事情に応じて問題を処理すること。「―で対応する」

Yahoo!辞書 - ケース‐バイ‐ケース【case-by-case】

パソコンの話でよくあるのが「ウイルス感染したらリカバリすべきだ」「いや、まずシステムの復元だ」とか、それぞれ特効薬万能薬でなく注意点があるので一概には言えませぬぞ。

「初心者にはウンタラカンタラ」とかも目的と条件によりけりでござる。

中身が問題

なんかそれらしいかっこいいい言葉、四文字熟語とか英語とかだと思考停止しちゃうことがよくあるかな。

「大東亜共栄圏」の理念のもと...って、理念そのものはいいものだったのかもしれないけどその中身が問題。具体的にはどんな計画?どういうことしたの?目的がよくても結果については責任とらないとだめだよーん。ってか、それは「パックス・アメリカーナ」とどう違うの?それってほぼ全体主義じゃないの?

通説を否定する場合は、一つの反例のみで反論しても無意味。それ以外が偽証であると説明が必要。

こう考えたらいいのかな?いや待てよそれだとこうで、やっぱり・・・ という風に何度も検証・反証してみること...

Wikipedia について

デリケートな問題については二派に分かれて編集合戦になったり、中立性に疑問がある記述(極論)が削除されても繰り返し書かれたりすることも結構ありますね。「ノート」を読むと、「結論」に近いものを持っていて、それに遠いものを否定したい「こう思いたい」という「感情」が感じられたりします(つまり「中立」ではない)。感情が入ると客観性が失われるような気もします。「善悪二元論」の罠(?)に陥っちゃってるようにも見えますが...

特に、“我が国”日本の歴史や、“大日本帝国”とかについては「なんだかなぁ」としか言えない結論ありき、根拠のいい加減な記述も多々見受けられたりしますね(対処する編集者の心労を考えると同情を禁じえませぬ...)。

Wikipediaの記述者はあくまで一般の記述者であるということ。時には根拠のない思い込みや「自身が信じること」(※つまり、こう思いたいという自身の願望から来る思い込み)などやや正確性に疑義が持たれる情報も含まれます。結構主観的な文章も多かったり。

その際に、「これは思い込みだ」と自身が思い込んでしまう罠(?)に陥らないようない注意しておく必要があるかなと思います。それが確かに記述者の「思い込み」であったとしても、間違った視点で「思い込み」と決め付ければそれの判断も思い込みとなってしまうかもしれません(※色眼鏡で見ないこと)。

そういった欠点を除きWikipediaの最大の利点は、一次情報や関連情報へのリンクなどがあることだと思います。

また、ノートで「論争」を読むのも訓練(?)になるのでいいかもしれません。疲れるだけかもしれませんが(笑)。

おかしな人たち

私にもあるので、人のこと言えませんが・・・偏見とか日和見主義とか。というか、先入観や偏見は誰にでも必ずあると思っておいた方がいいのかもしれません。

【私見ですが】非常に有能な社員であっても、部下を持ち上司になった途端に部下の指導に悩んで事務や営業、技術以外に管理能力を問われるのは誰もが通る道かなと思います。私も若い頃は親からよく「親心は自分が親にならないと絶対わからない」と言われてました。そんな風に、立場によって考え方が変わるということ、その考え方は経験がなければわからないという壁があるんではないかと。

※ 要するに「部下を持った経験が無い人」には「管理」についての話が理解できなかったり、話が全く通じないということがよくあるかなと思います。公平で客観的な指導や評価って難しいです。人間には色んなタイプがあるので一筋縄では行かないのです。

2chのおやくそく

頭のおかしな人の判定基準

  • みんなの意見」「他の人もそう思ってる」など、自分の意見なのに他人もそう思ってると力説する人

 他人が自分とは違うという事実が受け入れられない人です。自分の意見が通らないとコピペや荒らしなど
 無茶をし始めるので見かけたら放置してください。

  • 根拠もなく、他人を見下したり、差別したりする人、自分で自分を褒める人

 他人を見下すことで自分を慰めようとする人です。実生活で他人に褒めてもらう機会がないが
 プライドだけは高いとか、匿名の掲示板しか話し相手のいない人です。可哀想なので放置してください。

  • 自分の感情だけ書く人

「〜〜がムカツク」とか自分の感情を掲示板に書くことに意味があると思っている人です。
何がどのようにムカツクのか論理的に書いてあれば、他人が読んでも意味のある文章になりますが、
そういった論理的思考の出来ない人です。もうちょっと賢くなるまでは放置してあげてください。

書きこむ前に。。。

マーティン・ガードナーによる指摘

1952年、アメリカ合衆国懐疑論マーティン・ガードナーは、その著書(1952年初版)[3]において、疑似科学者の傾向として以下の5項目が挙げられるとした。

  1. 自分を天才だと考えている。
  2. 仲間たちを例外なく無知な大馬鹿者と考えている。
  3. 自分は不当にも迫害され差別されていると考えている。
  4. もっとも偉大な科学者や、もっとも確立されている理論に攻撃の的を絞りたいという強迫観念がある。
  5. 複雑な専門用語を使って書く傾向がよく見られ、多くの場合、自分が勝手に創った用語や表現を駆使している。

このように、理論そのものの検証ではなく人物プロファイルのような様相がある。

またガードナーは同著において以下のようにも述べた。

「もしある人が、手に入る限り全ての証拠に矛盾するし、また真剣な検討に値するような合理的な根拠を何一つ提供しないような考え方を頑固に提唱し続けるのなら、仲間から奇人というレッテルをつけられるのも当然だろう」

疑似科学 - ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典

人は、「わからない」から騙されることばかりではなく、「自分だけはわかっていると過信しているから」騙されることも多いのですよね。

 「マスコミは信じられない!」という人が、誰が書いたのかわからないような、匿名掲示板の書き込みを「隠された真実」だと思いこむのは、ものすごく変なことです。

 にもかかわらず、そんな怪しげな場所で「自分は真偽を見抜ける」という根拠のない自信を持っている人が、ものすごくたくさんいます。
 それが、ネットの世界。

 「事実」っていうのは、大概、面白くないか、めんどくさいか、不快なものです。正しい知識を検索することそのものも、けっして簡単ではありません。  でも、それを知ろうとしなければ、他人に都合よく利用されるだけで、前には進めないんですよね。

「神舟7号映像捏造疑惑」と「他人を笑いものにしているつもりの人間」の脆さ - 活字中毒R。
「人間は考える葦である」

有名なパスカルの言葉ですが、実際には「難しいことは考えたくない」、自分にわからないはずはない、自分の無能力を認めたくない、「信じたいものを信じる」といったような「願望ありき」で独善的な生き物であるのかもしれません。

ご都合主義

一方で否定しながら、他方で肯定するといったご都合的解釈。

  • 目撃者が出て来ないのはおかしい
    • 目撃者は迫害されるから、目撃者が出て来るのはおかしい、何か裏(陰謀)があるはずだ
  • 迫害を恐れず出て来られた証言者だから信用できる
    • 証言者は迫害されるから出て来るわけがない、何か裏が...(以下略)

「悪いこともあったかもしれないが、良いこともあった

「悪い」を軽視して「良い」を断定してるので熟慮してるように感じない、自己正当化に聞こえてしまいますね...

リテラシー?

どうやら「○○なんてまだ信じてるの?」という表現がフックになってるようで、一般に流布している説に疑いを持つ=メディアリテラシーだと思ってるみたいだ。

どんな言説に対しても等しく「まず疑ってかかれ」という姿勢自体は正しいと思うんだけど、そこから先を判断するやり方ってのは、考えてみればあまり語られることはないような気がする。

リテラシーってなんだろう

なんかそれらしい「言葉」だと短絡思考に陥りがちなのかもしれない。

終わった話を蒸し返す(話をループさせる)

「徹底的な調査を」「再調査が必要だ」とか、研究の成果として定説があるわけなのだが・・・

自分の望む結果以外は認めたくない人がよく使うパターンかな。

「確かにAは悪いが、Xにも問題あるので一方を批判するだけでは解決しない」
「いや、でもやっぱしAの方が悪いし...」
「だから、あの...」と話は無限ループ

言論封鎖?論考阻止?

詭弁(人格攻撃)の一種になるのかもしれませんが、目的をすり替えて「してはいけない」論にしようとするとか。「感情論」とか。

  • 当事者じゃないのに、実際に経験してないのに批判してはいけない!(目的は分析です)
  • 戦前関連の話は「賞賛」以外は「ご先祖の冒涜」だから受け付けないとか(非難が目的じゃないのですが)
  • 「人間誰しも間違いある!」「人間なんてそんなものだ!」「過去は過去、未来を見つめるべきだ!」(人生観とか世界観とかそんな大層な話じゃなくて過去の失敗から教訓を学びたいだけなのですが)
  • 「身内の恥は隠すべき?」(そういう状況じゃなくて、同じ過ちを犯さない為にはどうする、と言う話です)

本来の目的はあくまで「なぜの追求」を今後に生かすこと、つまり「勉強」なのですが、個人批判が少しでもあれば「個人攻撃イクナイ!」と論考阻止に持っていくと。

チャイルディッシュ?

ほとんど「コドモのケンカ」のようなパターン。

俗に言う「尻の穴が小さい」、「ダダこね」「逆切れ」などなど

  • よい・悪い、善・悪などの二元論でしか考えられない
  • 根拠なしで、「どう考えても」「絶対」と断言
  • 根拠なく「俺は信じる」「私は信じない」
  • 断言するが、根拠が薄弱
  • 「〜よりマシだ」は2分法でないとすればほぼ否定の意味になっている
  • 「〜するやつは、〜だ」という短絡的思考
    • 「xx新聞の主張はサヨクの主張だ」
    • 「〜を肯定するのは〜側の人間だ」
  • 自分の「信じたいもの」は無条件で受け入れる
  • 反例は根拠なく「捏造だ」、「信じられない」
  • 根拠にならない根拠を持ち出す
  • 詳細な説明は「納得できない」(本当は「理解できない」)
  • 反対意見は「敵」と考える
  • 議論を「勝ち負け」で考える
  • 他人のミスは鬼の首を取ったように攻撃する
  • 自分のミスを素直に反省できない
  • 自分は偉いのだから、自分を批判するやつは馬鹿だ

詭弁

き‐べん 【詭弁・詭辯】

  1. 道理に合わないことを強引に正当化しようとする弁論。こじつけ。「―を弄(ろう)する」
  2. 《sophism》論理学で、外見・形式をもっともらしく見せかけた虚偽の論法。
詭弁とは - はてなキーワード
  1. 事実に対して仮定を持ち出す
  2. ごくまれな反例をとりあげる
  3. 自分に有利な将来像を予想する
  4. 主観で決め付ける
  5. 資料を示さず持論が支持されていると思わせる
  6. 一見、関係がありそうで関係のない話を始める
  7. 陰謀であると力説する
  8. 知能障害を起こす
  9. 自分の見解を述べずに人格批判をする
  10. ありえない解決策を図る
  11. レッテル貼りをする
  12. 決着した話を経緯を無視して蒸し返す
  13. 勝利宣言をする
  14. 細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる
  15. 新しい概念が全て正しいのだとミスリードする
  16. 全てか無かで途中を認めないか、あえて無視する。
  17. 勝手に極論化して、結論の正当性に疑問を呈する。
  18. 自分で話をずらしておいて、「話をずらすな」と相手を批難する。

用語

  1. メディア・リテラシー
  2. 偏見・差別
  3. 哲学
  4. 論理学
  5. 修辞技法
  6. 政治思想 / イデオロギー
  7. 疑似科学
  8. 陰謀論・否定論
  • ――は豹変(ひようへん)
    • (1)〔易経(革卦)〕君子は過ちをすみやかに改め、善に移ることがはっきりしている。
    • (2)俗に、今までの思想・態度が急に変わること。
くんし 【君子】の意味 国語辞典 - goo辞書

過ちては改むるに憚ること勿れ

メディア・リテラシー

(記者より一番のライバルはどなただとお考えですかと問われ)「マスコミかな」

麻生太郎 - フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』

※ 不景気の際には国は(借金してでも)財政支出(投資)を増やすが常道(と言っていいと思います)ですが、一般国民には不満が溜まってるので逆の政策である「緊縮財政」がウケたりします。緊縮財政はさらなる不景気を呼び込む可能性大なのですが、積極投資は「ばらまき」と批判されるというお決まりパターンとか。

マスコミの論調が世論と全く同じものではないってことで。また、マスコミが世論を「作ろうと」してることもあるかと。公正中立なマスコミなんて存在し得ないのかもしれません。

視聴者側にも自分の願望 -「こう思いたい!」主張に飛びついてしまう習性(?)があるような。

よくある「素人にもわかりやすい解説」ってやつの中には、解説者自身が素人で間違ってることも少なくないかと。難しいことは素人には理解しにくい、「これを知らないと理解できない」って場合が多いんじゃないかな。

青少年に判断力や批判力を与える必要は無い。娯楽と競争意識だけを与えればよいのだ。青少年から思考力を奪い、指導者の命令に対する服従心だけを植え付けるべきだ。国家や社会や指導者を批判する者に対して動物的な憎悪を抱かせるようにせよ。少数派や異端者は悪だ、と思い込ませよ

アドルフ・ヒトラー - フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』

偏見・差別

哲学

む、難しいです...

論理学

全然わかってませんが...(汗)

修辞技法

いわゆるレトリックってやつかな。

政治思想 / イデオロギー

愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る。

ナポレオン・ボナパルト - フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』

これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主制が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主制は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主制以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。

ウィンストン・チャーチル - フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』

疑似科学

商品そのものはインチキとまでは言えない物でも、その説明が恣意的な「誇張」だったり、確証なき定説の否定だったりするやつって結構ありますよね。大したことない商品をまともな商品を否定(有害判定したり)することによって肯定的にPRするとか。

ダイエット関連では「副作用」に注意すべきかなぁ。

「健康」「ダイエット」「エコ」あたりが商売にしやすい素材なのかな。

陰謀論・否定論

「陰謀」って言っちゃうと、なんでも可能になりそうに思えませんか?

実は私、結構こういうのにはまりやすいお人よし(いやホンマ?)だったりするので注意しとかねば(汗)。

  • 群盲(ぐんもう)象を評(ひょう)す(群盲象を撫でる、とも言う)

3人の盲人が象を触り、それぞれが足を触り「これは丸太だ」、鼻を触り「これはロープだ」耳を触り「平べったいものだ」と三者三様の意見を発言するという話からきている言葉。個々の意見はそれなりに正しいが、全体像としては間違っているという意味で使用される。

ゾウ - ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典

陰謀論というのは、基本的に無理があるものです。 なので、淡々と書いていたのでは、どうしても読み手を納得させることができません。 そのような場合、次のような言い回しを多用することで、文章の説得力を増すことができます。

  • 〜〜〜と考えるのは当然である
  • 常識的に考えて
  • こう考えてしまうのは私だけではあるまい
  • 疑う余地はないだろう
  • 説明するまでもあるまい
  • 専門家の間でも意見が一致している(具体的なことはいわずに、”専門家”とだけいっておきましょう。同じパターンで、”関係者”も使えます)
インチキ陰謀論のつくりかた | オモコロ特集
軍産複合体?

戦争は儲かるの?おいしいの?落合信彦ワールド?

すずきちが観察した限り、
陰謀論を唱えている人たちに、
大まかに二種類いるようです。

一種類目は、
取材した、内部リークがあった、など一次情報を装って
嘘もしくはいい加減な情報を流す人達。
多くの場合、
もともとユダヤ人陰謀論などを持ちネタにしていて、
9-11の悲劇をネタに更に食いつなごうとしている
職業的な陰謀論者です。
川上陰謀論者と呼ぶことにします。
二種類目は、
真実を暴くんだという使命感はいいんだけど、
いい加減な一次情報をそのまま鵜呑みにし、
あるいは自分なりの
勝手な解釈を更に加えて広めてしまう、
川下陰謀論者です。

ほぼ日刊イトイ新聞 - 翻訳前のアメリカ。

マルチ商法などと同様に、「作る人」と「信じる人」、「作家」と「ビリーバー」がいるってことかな?

ネタ(笑)

結構スルドいとこ突いてるものもあったり。

  1. アンサイクロペディア
  2. ヘタリア
  3. アネクドート
  4. xx新聞風表現(ネタ?)
  5. 財前五郎遺言
  6. 涼宮ハルヒで学ぶ南京大虐殺
  7. ニッポンジンは役にたつ?
  8. 2ちゃんねる
  9. 質問掲示板
  10. 未整理

アンサイクロペディア

ヘタリア

主役的存在はイタリアなわけですが、某隣のお国から抗議が来たという...

ドイツに食事を制限されて周章狼狽しながら「だめですか!だめですか!」「どうかしめサバだけは!」と訴える日本クンが個人的にツボです。

アネクドート

ブレジネフが誘拐されて誘拐犯から電話があった。「100万ドル払え。さもないとブレジネフを生かして帰すぞ。」

アネクドート - ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典

赤の広場で、酔っ払いが、「ブレジネフはバカだ!」と叫んでいた。すぐにKGBがやって来て、酔っ払いを逮捕し、懲役22年を言い渡した。国家侮辱罪で2年、国家機密漏洩罪で20年(「スターリンの馬鹿野郎」の場合もあるが、罪状は同じ)。

アネクドート - ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典

スターリンがベリヤを呼び付けていった。「ワシの腕時計が見つからん。誰かが盗んだに違いない。すぐに犯人を捜し出せ。」「分かりました、同志スターリン。」その後、腕時計はスターリンの机の中から出てきた。「もういいよベリヤ、腕時計は見つかった。」「遅すぎます同志。すでに20人の容疑者を逮捕しましたが、全員が犯行を自白しています。」

アネクドート - ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典

7 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:03/11/02 18:48 ID:???

北朝鮮に亡命した日本人がいる。



そこで思い出したアネクド−ト。
精神病院にて
同志フルシチョフ「彼は、どうしてここにいるのだ?」
医局長     「彼は、亡命しようとしたので、入院させました」
同志フルシチョフ「なぜ収容所にいれないんだ?」
医局長     「はあ、彼はわが国に亡命しようとしたんです」

冗談・珍説1

xx新聞風表現(ネタ?)

この種の 「朝日新聞風表現」 には様々なものがあります。 例えば 「波紋を広げそうだ」「議論を呼ぶのは必至だ」「○○という声も聞かれなくもない」「しかしこういう声もある」「さまざまな声に耳を傾けてほしい」「○○という姿勢が、今ひとつ伝わってこない」…などなど、枚挙に暇がありません。

だがちょっと待って欲しい/ 同人用語の基礎知識

財前五郎遺言

里見へ この手紙をもって、僕の医師としての最後の仕事とする。 まず、僕の病態を解明するために、大河内教授に病理解剖をお願いしたい。 以下に、癌治療についての愚見を述べる。

癌の根治を考える際、第一選択はあくまで手術であるという考えは今も変わらない。 しかしながら、現実には僕自身の場合がそうであるように、発見した時点で転移や播種をきたした進行症例がしばしば見受けられる。 その場合には、抗癌剤を含む全身治療が必要となるが、残念ながら、未だ満足のいく成果には至っていない。 これからの癌治療の飛躍は、手術以外の治療法の発展にかかっている。 僕は、君がその一翼を担える数少ない医師であると信じている。 能力を持った者には、それを正しく行使する責務がある。 君には癌治療の発展に挑んでもらいたい。 遠くない未来に、癌による死が、この世からなくなることを信じている。 ひいては、僕の屍を病理解剖の後、君の研究材料の一石として役立てて欲しい。 屍は生ける師なり。

なお、自ら癌治療の第一線にある者が早期発見できず、手術不能の癌で死すことを、心より恥じる。

財前五郎

【白い】財前五郎遺言のガイドライン【巨塔】

涼宮ハルヒで学ぶ南京大虐殺

ブラックユーモアってやつかな?...

劣等人種を劣等人種と呼ぶのは差別じゃなくて区別よ!

「それは大きな間違いよ。
戦前の日本はね、まさに理想の国だったのよ!

欠点なんてあるわけが無いわ!
戦前の指導者はね、全てにおいて完璧な治世を行ったのよ!」

「確かに、ハルヒの話を聞く限り 戦前の日本は理想の国家というか、 ニュースで聞く地上の楽園そっくりだな。」

ニッポンジンは役にたつ?

なんだかなぁ

「犬去りて豚来る(狗走豬擱來)−犬(日本人)は吼えて煩いが番をしてくれていたが、豚(中国人)は貪り食うだけで何もしてくれない)」

台湾光復 - ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典

どっちも人間じゃないんですけど...

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「モサドの情報によると...」「CIAカクカタリキ」みたいな。一般人にもわかりやすいので若い頃はまりましたが(笑)、正史もきっちり学びませう。



 しかも始末の悪いことに、古代中国や古代日本に関するトンデモ「研究」は、多くが何らかのイデオロギーに染まっています。ほとんどは「日本は偉い、中国憎い」という、国家に対するコンプレックスの解消を目的とするものですが、こうしたイデオロギーは経済の失敗で自信を失い、中国や韓国の台頭におびえている日本人の気分にとてもマッチしていますから、人々の支持を集めやすいといえます。現に西尾幹二『国民の歴史』のような本も、歴史の専門家がこぞって無視している間に(この本のイデオロギーが気に入らないから無視しているのではなく、歴史学の手続きを踏み外しているから無視しているのです。くれぐれもここを間違えないように。)、少なからぬ人々の支持を集め、ナショナリズム高揚に確実に一役買っているのです。

トンデモ「研究」の見分け方・古代研究編

 そして「イデオロギーのためなら、どんな詭弁も強弁も許される。ひたすら声高に叫べばよい」という悪しき風潮が広がりつつあります。なにしろこの国の宰相からして「自衛隊が行っているところは非戦闘地域だ」などと、正気を疑う詭弁を弄し、加えてそれを自画自賛するありさまです。まさに「悪貨は良貨を駆逐する」であり、「詭弁通って論理引っ込む」世の中になろうとしています。

トンデモ「研究」の見分け方・古代研究編

 しかも、「わかりやすさ」のために犠牲にしたものがあることを、情報の受け手は知らない。気づかない。実は、たくさんの枝や葉が切り落とされていることも分からないまま、太い幹だけを見て、「これが木だ」とわかった気になる。

 「わかった気になる」のは「わからない」ことよりも、もっと困ったことではないだろうか。「わからない」という自覚があれば、人は謙虚になる。あるいは、知ろうと努める。

 けれども、「わかった気になった」人は、自信がある。「わかった気になった」後は、それ以上考えない。そうなると、人はしばしば傲慢になる。あるいは頭の働きが劣化して、想像力が鈍くなる(もっと率直に言えば、バカで鈍感になっていく)。

Egawa Shoko Journal: のりぴー騒動と小室本

だいたい、人件費が高い日本でモノを作っていると「企業努力で値下げしろ」といい、人件費の面で柔軟性を確保しようと思って非正規社員を増やすと「派遣切りは怪しからん、格差社会だ」といい、正社員を増やすために給与を抑制すると「景気後退の原因を作っている」といい、製造拠点を海外に移すと「産業の空洞化だ」といい、利益を出すと「企業は税負担が足りない、応分の負担をしろ」といい、赤字になると「経営者の責任だ、努力が足りない」といい、じゃあいったい、どうしろっちゅーねん。

どれかひとつだけを取ることができないから、間でどうバランスをとるか、という話になるんじゃなくって ?

Kojii.net - Opinion : そもそも "欠陥商品" って何 ? (2009/7/13)

多分、「○○は欠陥商品だ」という話を声高に叫ぶ人が出てきたときには、その人の平素の考え方や立ち位置をチェックして、補正をかけることが必要なんじゃないかと思う。往々にして、批判すること自体が目的で、手段は何でもよかった、という場合があると思うから

Kojii.net - Opinion : そもそも "欠陥商品" って何 ? (2009/7/13)

私は櫻井さんというジャーナリストの正義感は疑っていません。本書の執筆担当者もいずれも正義の感情を強く持った人たちでしょう。ただし、正義感は議論の妥当性を担保しませんし、時にはそれを迷わせるやっかいな存在ですらあり得ます。

楽園はこちら側: 薬害エイズ「無罪判決」どうしてですか?

「イイタイコト」イッチャッタ「気持ちイイ!」の巻

田母神氏は「政府見解に一言も言えないのでは北朝鮮と同じだ」と述べたようですが、それは「米国陸海空軍とも同じだ」と、正確に訂正されなければなりません。

KY空幕長の国益空爆:日経ビジネスオンライン

「そういう発言」の重大さ(防衛関係者として地位に関係なくありえないこと)がわからないことが問題なのか(それ以前にルール破りしてますが)、そういう人が高い地位にいたことが問題なのか、はたまたそういう思考力が問題か...

 威勢のいい発言は、聞いていて気分が高揚し、心地がいい。単純すれば、難しい国際情勢も複雑な歴史もたやすく分かったような気になれる。だから、ついついそういう発言に惹きつけられる心理は分からないではない。

 しかし単純明快に語れば語るほど、威勢のいい言動を重ねれば重ねるほど、歴史の真相からも国際社会の現実からも遠のいていく。このことは、よくよく肝に銘じておきたい。「単純明快」は悪魔の誘惑でさえあると思う

Egawa Shoko Journal: 田母神発言・その単純明快さが危ない

ネット上ではかなり人気あるみたいですね。個人的にはこういう人(発言ではなく)は好きですねぇ。自衛隊にしとくのはもったいない(というか向いてないと思う)、是非営業マンとしてスカウトしたい、とか言ったら失礼になったりして。言語明瞭、意味不明瞭、勇猛果敢、支離滅裂、論理破綻、伝統墨守、唯我独尊 ...

※【個人的に思うこと】2ちゃんねるのすごいとこはこういうスレがあるってことかなぁと。ネタスレなのに不快深い味わいのある意見が多いです。

【唯我独尊右翼】でなく【愛国保守】でもなく、単なる【アンチ左翼】に思えてきました。本人は「天然系」に見えますが支持者が問題なのかも。いっときの長嶋さんみたいなかんじかな(※ 広岡さん曰く「長嶋はあぁだからスタッフがしっかりしろ」と)。

いわゆる自慰史観については、自衛隊員からすれば「そんなコドモみたいな話を...」だと思われます。。。


一方で、ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思うのは、ひとつには僕が1960年代の学生運動を知っているからです。おおまかに言えば、純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。その結果学生運動はどんどん痩せ細って教条的になり、それが連合赤軍事件に行き着いてしまったのです。そういうのを二度と繰り返してはならない。

「正論原理主義」を乗り越えて:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan

外の社会ってのは不思議で、きれいでない。正しいように見えない。しかし、そこが結局鏡になる。今、グローバリズムの弊害ということが言われている。それには、確かに問題がある。それを是正する運動が必要で、その運動を進めた時、その運動を検証するための鏡は、グローバリズムが支配する社会なのだと思う。少なくとも、ナショナリズムより危険度は小さい。(もう少し丁寧に書くべきですね)

雑感431-2008.6.3「石けん運動の経過について考える −びわ湖会議解散の報に接して−」 - J. Nakanisi Home Page

しばしば書くことだが、何事も極論に走るのはよくない。何の根拠もなく「日本が一番」と思い込むだけのインチキ愛国心を植えつけたところで、足元の「日本固有の文化を大切にする心」や、それと並んで「異なる文化も否定せずに接してみる」というバランス感覚がなければ、むしろ迷惑な存在になってしまう。そんな感覚で国際社会と付き合おうとしても、日本が孤立するだけだ。

そもそも、大正から昭和にかけて、日本が国際社会から孤立した一因が、この、根拠のない「日本絶対神聖・最高論」ではなかったのだろうか ?

Kojii.net - Opinion : 「愛国心」とかなんとかいう前に (2002/10/21)

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言われている__人は生まれながら貴賎上下の差別ない。けれども今広くこの人間世界を見渡すと、賢い人愚かな人貧乏な人金持ちの人身分の高い人低い人とある。その違いは何だろう?。それは甚だ明らかだ。賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由ってできるものなのだ。人は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれどただ学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるのだ。」

学問のすゝめ - ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典

こういった賞の中でもっとも有名なものはもちろん1979年に受けたノーベル平和賞であろう。テレサは受賞者のための晩餐会の出席は断ったが、賞金192,000ドルはカルカッタの貧しい人々のためにうけとった。賞金を受け取ったとき「このお金でいくつのパンが買えますか」といったと言う。そのときのインタビューの中で「世界平和のためにわたしたちはどんなことをしたらいいですか」と尋ねられたテレサの答えはシンプルなものであった。「家に帰って家族を大切にしてあげてください」。

マザー・テレサ - ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典
Written by yassy